踊る猫の生活

創作のような日常/日常のような創作

ヤロスラフ・サイフェルト『新編ヴィーナスの腕』

新編ヴィーナスの腕―J・サイフェルト詩集

新編ヴィーナスの腕―J・サイフェルト詩集

 

チェコを代表するノーベル文学賞受賞者の詩人であるヤロスラフ・サイフェルト。私はこれもまたいつもながら無知/不勉強に依り名前さえ知らない状態で、飯島周氏が訳しているからという理由で読んでみたのだけれどこれがなかなか面白かった。だが、その理由を説明するのは難しい。その理由のひとつは、私が詩という文学を論じられる能力がないからなのだと思う。私自身詩集を愛読するという習慣がない。小説やノンフィクションや散文は数多と読んでいるのだけれど、「詩」という形式で書かれたものに関しては苦手意識がつき纏う。「詩」は言うまでもなく凝縮されて絞りに絞り抜かれた言葉で表現するジャンルである。抽象的過ぎて、ストレートな表現にしか馴染めない私にはそうした表現がピンと来ない。

そんな有り様なのでこの『ヴィーナスの腕』を巧く語れるかどうか自信はないのだけれど、ともあれやってみよう。サイフェルトに依るこの詩集はしかし、ノーベル文学賞作家だからと言って難易度が高いかというとそうでもない。むしろ理解するのは平易なのではないか。恋愛詩、抒情詩、反戦詩……そういった詩が並ぶ。このあたりはサイフェルトの生い立ちを辿れば幾分か分かりやすくなるかもしれない。サイフェルトは 1901 年にプラハで生まれた。そして第一次世界大戦を経験し、ナチス・ドイツの侵略を体験し第二次世界大戦で苦しんだ。激動の東欧を生き抜いたわけだ。平和だった世界が少しずつ戦火/戦禍に呑み込まれて、ひとりまたひとりと犠牲になって行く。弾圧や検閲も経験したことだろう。

だが、そんな時代に書かれたものだから今読むと古臭いかというとそんなことはない。いや、むしろ今の日本で読めば切実に心に響くものがあるのではないか。今の日本の状況を見渡してみよう。日本の将来は安泰というわけではないだろう。バブル景気以来の好景気と言われているが財政的には未だ苦しい状況で、年金制度も破綻するかもしれない。平和憲法も書き換えられつつあり、北朝鮮をめぐる緊迫した国際情勢も無視出来ない。一触即発……と書くと「考え過ぎ」と一笑に付されるだろうか。ともあれ時代は混迷を極めている。そんな中、東欧の激動を生きた人の言葉は何故か私たちの将来を見据えた言葉のように映るのだ。

詩人は政治に対してなにが出来るだろうか? サイフェルト自身も政治活動に署名運動などの形で身を投じたらしいが、あくまで彼の武器は言葉である。ペンである。だが、彼はペンが銃弾の前に倒れる時代を生きたのだ。その苦しい現実をストレートに表現した詩も本書には収められている。牧歌的な詩など収められていない。恋愛詩も基本的には何処か切ないリアリズムを重視した、ロマンティックなものではない詩が収められている。彼の姿勢はこちらに優しく語り掛けて来るかのように響く。読みながら例えばこれからの日本もペンが銃弾の前に倒れる日が来るのではないか……と暗い気持ちにさせられてしまった。これもまたナイーヴな感想だろうか。

加えてサイフェルトが生きたチェコは、社会主義とその破綻を経験せざるを得なかったこともつけ加えておく必要があるだろう。革命を生きた詩人……そんな中二十歳からキャリアをスタートさせて、膨大な詩を書き続けた詩人の強い意志と創作意欲が本書からは感じ取れる。例えばヴィスワヴァ・シンボルスカ(彼女もまたノーベル文学賞作家だ)の詩集の傍に本書を置くのは頓珍漢だろうか。シンボルスカはむしろ寡作な詩人だったけれど、言葉はあくまで平易だった。サイフェルトもまた平たい言葉でこちらを詩の世界に案内してくれる。そこから見える景色もまた共通している。政治的混乱とそれに依ってもたらされる数多な破壊、死に満ちた日常……。

日本も、例えば 3.11 を経験してこの上ない破壊や死といった悲劇を経験して来た。そして今は軍国主義が台頭し、逆に左派からも好戦的な言葉が過激に放たれる時代だ(「平和主義者の好戦性」について私たちは熟知しておく必要がある)。カタストロフはすぐそこまで来ているかもしれない。そんな中、東欧の文学者から学ぶべきことは多々あると思われる。彼らがファシズムスターリニズムに対して、起こってしまった戦争に対して、ヒロシマナガサキに対して、アウシュヴィッツダッハウに対してどう振る舞ったか……またしても「考え過ぎ」と一笑に付されるのだろうか。私自身政治に関して疎いので、ナイーヴと嗤われてもしょうがないとは思っている。

サイフェルトの詩に戻ろう。戯れにページを繰ってみる……両親と暮らしていた子どもの頃の幸福な記憶、詩人として生きる決意を固めた瞬間、そして先述したようにペンが銃弾の前に倒れたことのショック……具体的にフレーズを引いていくとキリがないので、ここからは実際に読んでみて確かめてみて欲しいとしか書きようがない。この駄文で何処まで「実際に読んでみよう」と思わせられるかどうか自信はないが、ともあれ冒頭で述べたようにからっきし「詩」に対する感受性の欠けている私でもサイフェルトの作品はまさに「今」を予言したようにアクチュアルに読めてしまったのだった。忘却させるにはあまりにも惜しい詩人の名を、またひとり知ってしまった。