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踊る猫の生活

創作のような日常/日常のような創作

ヤロスラフ・ハシェク『不埒な人たち――ハシェク風刺短編集』

不埓な人たち―ハシェク風刺短編集

不埓な人たち―ハシェク風刺短編集

 

ヤロスラフ・ハシェクはチェコを代表する人気作家であるらしい。私はそんなこと全然知らずに、飯島周氏が訳しているからという理由で手に取ってみたのだった。東欧文学を掘り下げるにあたって見過ごせない作家であるらしい……と目星をつけて。そして、読んでみたのだけれど確かにこれが唸らされる出来映えだった。後に理由を述べるが、本書を手放しで礼賛したいとは思わない。ただ、本書が「現在」の日本でどのような意味を持つのか考えさせられてしまった(あるいはハシェクの名は『兵士シュヴェイクの冒険』という未完の長編の書き手として日本でも有名なのかもしれないけれど、これもまた私の不勉強が祟ってそんな邦訳さえ知らないで読んでしまったのだ)。

本書は、千本を超える(!)ハシェクの短編の中から美味しいものを 25 編選出した日本独自の短編集である。ハシェクはボヘミア王国の支配するチェコで生まれ、貧困家庭の中で育ち政治的激動の中を生き抜いた。アナーキストとして、兵士として、ジャーナリストとして……彼が食うに困って書きまくった短編群がそれだけの数に達するわけである。かなりの速筆であり頭の回転が速い人物だったと言えるだろう。書きに書いたそれらの「風刺短編」を読むにあたっては、そうした東欧の歴史を知らないと難しいところがあるかもしれない。例えばダニイル・ハルムス『ハルムスの世界』がスターリニズムを知らないとイマイチ面白くないのと同じであるだろう。事前に予習が必要な分だけ、例えば同じチェコを代表するフランツ・カフカと比べれば不利かもしれない。

私自身、先にも述べたように東欧の情勢に関しては――『東欧の想像力』を読んだとは言え――不手際/不勉強が祟って殆ど知らないまま本書を読んでしまったので、チェコに関してもっと詳しい方が読めば面白いのかもしれないと思った。まだるっこしい言い方は良くないと思うのでハッキリ言えば、玉石混淆という感を抱いた。風刺としては古臭いものもあるし、チェコの国情を知らなければ理解に苦しむものもあると思う。そのあたり読者を選ぶだろう。飯島氏は「カフカは二十世紀的人間の現状を警告し、ハシェクはそれを乗り越えた二十一世紀的人間の到来を予告する」と書いているが勇み足ではないか、とも。

ただ、日本ではこういう毒の効いた「風刺」になかなかお目に掛かれないので総じて面白く読めたことも確かだった。ブラック・ユーモアの効いた作家……日本では誰が該当するのかなかなか思いつかない。政府や警察や軍隊や官吏といった「権力者」、あるいはお高く止まった貴族に対して平気で唾を吐く姿勢のキツさは誰になるだろうか、と。日本の作家でそこまで毒のある「風刺」をかなりの強度で書ける人は居ないのではないか、とも。私が本書に馴染めないのはそうしたハシェクの日本人離れしたユーモアのセンスについて行けないからなのかもしれない。だからこのあたりは割り引いて読んで欲しいところだ。

面白かったのは例えば「人食い人種の話」。これは宗教をネタにしている。人食い人種が何処の宗教の宣教師を味わって……という話だ。宗教的な話は日本の読者にはイマイチウケが悪いかもしれないが、それを割り引いても楽しめるのではないか。貴族のスノッブさを嘲笑してわざと読書サロンで真面目な質問にボケ続ける男の話である「読書家の仲間になって」もスパイスが効いている。その他には「ハムスター事件」がハムスターの飼育のトラブルがエスカレートするという比較的分かりやすいジョークとなって成立している。もしくは橋から川を眺めていた男が自殺志願者と間違えられる悲劇「精神医学上の謎」も忘れ難い。

読みながら、ハシェクのこうしたジョークのセンスは先述したように東欧のローカルな話題を越えられていないものもあるとは言え、今の日本でも通じるものがひしひしと感じられた。と書くとケチをつけておきながらどういうことだと立腹されるかもしれない。私の考え過ぎであって欲しいが、権力者に対するジョークが――しかも今だからこそ単なる罵倒や嘲笑に堕しない知的なジョークが――求められている時代もないのではないか。あるいは権力者に対して従順である人々(私も含む)に対する痛烈な「風刺」が読まれるべき時代も。東欧の激動の歴史を知ってから読み直せば確かにハシェクの先見の明に舌を巻いてしまう。日本もまた今後俗に言う「平和ボケ」が一変して戦火/戦禍に巻き込まれるかもしれない。そう思って読めば本書のジョークが他人事やあるいは古き良き時代のものとしては読めないのだった。

なんだか腐しているような褒めているような微妙な感想文になってしまったが、「玉石混淆」の印象は変わらない。そのあたり正直なところ強烈なプッシュは出来かねる。ただ、チェコの歴史に興味がある方、第一次世界大戦に詳しい方、あるいはそう言った過去について知りたい方にとっては興味深い本なのではないだろうか。今のような時代にこそハシェクのこのコンパクトな書物は読まれるべき……と書けば「どっちなんだ」と非難されるかもしれない。そこは読者の判断に委ねたい。この駄文を読んで、例えば日本の権力者の横暴や多数派の従順さに違和感を持っている方がひとりでも多く本書の「風刺」のスパイスを知っていただければ、左右問わず楽しめるのではないかと思う。罵倒/ヘイトスピーチに溢れ返る今だからこそ……とまあ煮え切らないまま、この駄文を閉じることにする。