踊る猫の生活

創作のような日常/日常のような創作

山崎佳代子『そこから青い闇がささやき』

そこから青い闇がささやき

そこから青い闇がささやき

 

日本国憲法の改正が秒読み段階に入りつつある。「平和ボケ」が非難される昨今、いずれ第九条は書き直されることになるのかもしれない。七十年間平和を保ち続けて来た――むろん、間接的には戦争に協力して来た過去があるわけだが――日本も、いよいよ戦争を当事者として経験せざるを得なくなるだろう。右からも左からも喧しく、排外主義や愛国主義やあるいは過激な平和主義が叫ばれつつある状況が「今」である。だが、そんなにやかましく声を荒げる必要があるのだろうか。ナイーヴな言葉遊びと言われればそれまでだが、小さく語られる「個」の言葉に耳を傾ける必要があるのではないだろうか。山崎佳代子『そこから青い闇がささやき』はそんな「ささやき」を記録した書物である。

かつてユーゴスラビアと呼ばれた国に属するベオグラード――現在はセルビアに属している――において、過激な対立と内戦と経済的混乱(ハイパーインフレ)を経験して来た氏が 90 年代初頭からゼロ年代初頭に至るまでに折に触れて綴って来たこのエッセイ集は、ある流れを成して構成されている。著者がベオグラードに移住するまでの幼いころの記憶から移住してまで、そして移住後内戦を経験しユーゴスラビアが解体して戦火/戦禍に巻き込まれてからの記録が綴られているのだった。ここで綴られているのは決して他人事とは思えないことだ。だいぶ昔に書かれた本だが、今読んでも(あるいは今だからこそ)充分に「リアル」に状況が伝わって来る。

著者は「個」の声を掬い上げる。著者は自分が日本人であるというアイデンティティをも闇雲に振りかざすことなく戦火/戦禍の中難民や戦死者が増え続ける状況を、ナショナリズムに陥ることなく記録する。そこに安っぽいヒューマニズムの匂いはない。ただ、多民族が平和に共存し合っていたユーゴスラビアが破壊されて行くことを穏やかに綴り続ける。その穏やかさが逆にこちらの胸を打つのである。山崎佳代子氏の著作は読んだことがなく、ダニロ・キシュの翻訳家として知ったから興味を持ったのだけれどこんなに冷静にしかも詩的に状況を切り取れる方だとは思わなかった。卓越した日本語の使い手として、彼女は状況をレポートし続ける。

どの国の立場も代弁せず、どの国にも所属しない難民の声を掬い上げる。あるいは国家の過剰なイデオロギーに巻き込まれて対立に走らざるを得ない人々の声を著者は拾い上げる。なるほどひとりひとりの声は「ささやき」程度のものだろう。本書では政治家やイデオローグやジャーナリズムの声は全く拾われない。彼女は子どもたちの声に、あるいは文学者の声に、もしくは市井の人々の声に耳を傾ける。それが胸を打つ。多民族が共存して生きる道を探り合っている――あるいはそれが不可能であることを今一度確認しつつある――日本、だからこそナショナリズムやそれと対を成す理想主義が過剰に攻撃し合っている日本でこそ読めば響くものがあるはずだ。

例えば本書からスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ(不勉強にして『戦争は女の顔をしていない』しか読んでいないのだが)の問題意識に通じるものを感じつつ、あるいは異国/異文化に引き裂かれながら生きざるを得ない佇まいから多和田葉子氏を連想しつつ読むのは頓珍漢に過ぎようか。だが、日本も北朝鮮の脅威やあるいは韓国との摩擦、中国やアメリカの覇権や利害関係に巻き込まれて翻弄されざるを得ない状況が今後確実に到来することくらいは政治音痴な私でも予想出来る。だからこそ本書で書かれる凄惨な状況は胸を打つ。なるほど著者の声は小さいかもしれない。彼女は誰をも煽らない。だが、だからこそそんな「ささやき」に耳を傾ける必要があるのではないか。

むろん、ユーゴスラビアが理想の国だったわけではないだろう。そこに欺瞞があったはずではないかと著者のナイーヴさを嗤うことも容易い。私は東欧の政治状況や歴史に関しては無知なのでそのあたり口を噤むしかないのだけれど、ともあれ東欧が多民族の衝突や全体主義(ナチズムとスターリニズム)に翻弄されて荒れた状況を辿らざるを得なかったこと、その苦しみは胸を打つ。正直言えば、私は東欧文学を読む際に日本の平和の有難味を味わい慰撫されることが気になっていた。彼の地の戦火/戦禍が及ばない地点で、まさに「平和ボケ」をのほほんと楽しむ……そこに「も」欺瞞はありはしないか、と。と同時にこう問うこと自体も偽善でもあると思っていたのである。

だが、東欧の過酷な状況を生き抜いた文学者たちはむしろ戦火/戦禍の及ばない読者にこそ自分たちの苦難を届けたい(同じ過ちを犯さないように)と勇気を出して声を放ったのではないか……本書を読んでそう思うようになった。それこそが文学が持ち得る力であるのだろう、国境を越えて……と書くとこれも綺麗事に過ぎようか。このあたりは東欧文学を読みながら考えて行きたいので現時点では保留せざるを得ないが、ともあれ山崎佳代子氏はそうした極東の一読者に彼の地の人々の平和を希求する人々――しかも誰も対立を望まず戦火/戦禍の悲惨さを嘆き、国家が対立を強いる状況を批判する人々――の姿勢を届けることには成功したわけだ。私自身山崎氏の著作をもっと読みたくなった。

本書には、名も無き「個」の言葉が多々登場する。難民の人々、地雷で被害を受けた人々、あるいは死者が残した言葉、それでも前向きに生きようとする人々……そんな人々の、もちろんヘイトスピーチとは無縁の穏やかな「ささやき」を汲み取ろうと尽力されたのが本書である。彼女自身の身に及んだ危険をも彼の地に住み続けて、そして記録したドキュメントである。非常に興味深い読書となってしまった。詩人として、あるいは文学者として彼の地でも評価されているという彼女の詩をもっと読みたくさせられてしまった。むろん、彼女が翻訳したダニロ・キシュの著作をも……この「ささやき」を読み逃すのはもったいないと思われる。もっと多くの人々に届くようにと願いながらこの駄文を閉じる。