踊る猫の生活

創作のような日常/日常のような創作

チャック・パラニューク『ファイト・クラブ』

今日は活字が頭に入らなかった。読もうと意気込んでいたマルセル・プルースト失われた時を求めて』も『後藤明生コレクション』第二巻も、フローベール『感情教育』も読めなかった。それでスマホを眺めて過ごしていたのだけれど、ふと鞄の片隅に入れていた本書の存在を思い出しあまり期待せず読んでみた。すると頭にスルスルと入って来たので我ながら驚いた。町山智浩氏が「人生に迷った時の映画」として本書をベースにしたデヴィッド・フィンチャーの映画『ファイト・クラブ』を薦めていたのだけれど、私自身も人生に迷っていたからなのか、本書の読書は心に沁みるものとなってしまった。だが、その理由を説明するとなると難しい。

改訳新版となってから本書を読むのは初めてとなる。何処が改良されたのかまでは読み込んでいないので分からなかったのだけれど、読みながら思ったのは非常に淡々と全てが説明されて行くストーリーであることである。警句っぽいフレーズが至るところに溢れている。情景の描写はさほどされない。むしろ筆致は簡素と言っても良い。ミニマリズム、というのとは違う。ジェイムズ・エルロイ的というのでもない。チャック・パラニュークならでは……としか言いようのない、それこそ『ファイト・クラブ』映画版で贅肉を削ぎ落としたブラッド・ピットの肉体のような美しい文体で綴られるストーリーは無駄がなく、全てがひとつのトリックを交えたオチに収斂して行く。

トリックがどんなものなのか? このあたりに関しては野暮なので説明はしないし、鋭い読者なら――特に日本の新本格ミステリに慣れた読者なら――即座に分かるだろう。だから明かさないでおくが、トリック自体に新奇さはない。むしろトリック自体は陳腐と言って良い。だが、魅力はトリックの珍奇さそれ自体にはない。映画版も観ていたし改訳される前のものも読んでいたのでトリックは分かっていたのだけれど、なるほどそういう仕掛けがされているのかと興味深く思って読み耽ってしまった。それに加えてやはりフレーズの切れ味が良い。本書のキモと言っても良いくらいだ。「救い出してくれ、完璧で完全な人生から」……こんなフレーズが飛び出すのだ。読まないわけには行かないだろう。

チャック・パラニュークがこんな発言をしていると都甲幸治氏が引用している。「人生のある一点を過ぎて、ルールに従うのではなく、自分でルールを作れるようになった時、そしてまた、他の期待に応えるのではなく、自分がどうなりたいか決めるようになれば、すごく楽しくなるはずです」……『ファイト・クラブ』はまさにこの精神を地で行く物語である。ひとりの不眠症で悩む平凡な男、生活に困っていないけれど今ひとつ現状に満足出来ていない男、不満はないはずなのだけれどなにに悩んでいるのか自分でも分からない男……そんな男がタイラー・ダーデンという男との遭遇を果たして、殴り合うことに依って生きる意味を取り戻すというスジである。やがて同じような悩みを抱える――あるいは悩んでいないことに悩む――男たちが「ファイト・クラブ」を立ち上げる、というストーリーだ。

ファイト・クラブ」の第一項と第二項は「ファイト・クラブについて口にしてはならない」とのことなのでこれ以上語るのは控えようか。本書を読んで語り手が例えば死に瀕した自助グループの病人たちと出会うことで生きる意味を取り戻し癒されるあたりを読んで私自身のことを思った。私自身断酒会というところに在籍して二年になる。様々なアルコール依存症の人物を見て来た。盃を砕いて断酒に励んでいる人々。仕事を失った、家庭を失った、財産を失った、そして健康を失った……脳に後遺症が残って呂律が回らない人がどんな思いで必死に断酒に励んでいるのかを聞かせて貰ったことがある。なにを語っておられたのか分からなかったのだけれど、迫力がある光景だった。『ファイト・クラブ』の主人公が会社や社会のルールを破って自由意志を取り戻すのと同じように、自分のルールを作って生きることは出来るのだな、と思わされた。これはひとりの男の再生の物語である。

とは言え、『ファイト・クラブ』では逆説が語られる。つまりこういうことだ。社会的な規範を破れば社会からは自由になれる。だが、今度は「社会の規範を破らねばならない」ということ自体が「規範」になってしまうというものだ。本書の「ファイト・クラブ」が最初は秩序を唾棄する革命的なグループだったのに、いつの間にか誰がリーダーなのか分からない(タイラー・ダーデンでさえ、「ファイト・クラブ」の理想の下に粛清されかねない)全体主義的なグループに堕してしまうという滑稽さ。自由意志を取り戻したはずの人々が自由意志を放棄してしまうという逆説までも見事に描かれているのだ。本書を読む際にはその苦味をも読まなければならないだろう(だから、その点では都甲幸治氏の読みはナイーヴであると私は思う)。

字数も良いところに達した。私自身が盃を砕く前になにもかも「社会が悪い」「経済が悪い」「政治が悪い」「会社が悪い」と不平不満をグチグチ呟きながら読んでいた頃の読書と比べて、そういう意識を捨てた今となって読み直してみればチャック・パラニュークが本書に込めたメッセージがまた別の形でくっきり現れて来る。本書のタイラー・ダーデンが決して反社会的ヒーローではあり得ないこと、「ファイト・クラブ」が革命的な存在ではないこと。その痛烈なアイロニーを読み取らなければ本書を読んだことにはなるまい。チャック・パラニュークが何処までそのアイロニーに自覚的だったのか分からない。著者のコメントでは本人もコントロールし得ないところまで「ファイト・クラブ」が独り歩きしてしまったことの驚きが隠されていないが、「小説として」出来は二流かも知れないがメッセージ性として今なお読むに耐え得る作品であることは間違いない。私もまたチャック・パラニュークが描いたアイロニカルな社会の中で生きているタイラー・ダーデンなのかもしれないのだ。