踊る猫の生活

創作のような日常/日常のような創作

野口雅子『フランス女性は80歳でも恋をする』

本が好き!」 さんからの献本です。

フランス女性は80歳でも恋をする

フランス女性は80歳でも恋をする

 

ミヒャエル・ハネケの映画を観た。『ピアニスト』だ。ウィーンが舞台になっているが、主人公を演じたイザベル・ユペールはフランスの女優であるらしい。不勉強にしてこの女優の名前をこの映画で初めて知ったという体たらくなのだけれど、知的でありながらなおかつ情熱に溺れるその姿がフランス人っぽいと思ってしまった。映画自体はそう感動させられたわけではないのだけれど、ハネケが何故この映画で「フランス」の女優を選んだのか、そこに興味を抱かれてしまった。そんなことから本書の感想文を始めたい。「フランス女性」ならではの――むろん、フランスには移民も多いが――性格というものがあり得るのではないか。

本書が私のような人間を読者の対象として書かれたものでないことは百も承知である。それを踏まえてジャケ買いならぬタイトル応募をして私は本書を読んだ。読みながら、例えば堀江貴文氏が『しくじり先生』で語った「過去にとらわれず、未来に怯えず、今を生きろ」という言葉を思い出してしまった。問題は「今」をどう生きるかなのではないか。これだけ先行きが不透明な時代だ。刹那的であるということは美徳なのかもしれない。本書で綴られるのはそうした「フランス女性」ならではの「今」を生きることを楽しむ美徳だ。それが本書のタイトルに如実に現れている。年齢など関係なく「恋をする」。それが「フランス女性」なのだ。

そもそも、「フランス女性」は年齢をさほど気にしないらしい。私は自分の年齢を気にして「老い」を意識するようになった。二十代、三十代に出来たことが今は出来ない。それは分かっている。なので、私は「フランス女性」――なんならフランス人全体――が「人と年齢がセットになってい」ることを不思議がる逸話を読み、唸らされてしまった。例えば新聞のニュース記事では私なら私の本名と年齢が「○○(50)」と書かれてしまうわけだ(私は五十歳ではないが、個人情報を明かしたくないので内緒にしておく)。それを不思議に思ってしまう視点があるらしい。「数字ではない何か」なのだという。年収でもないらしい。

年齢に囚われて「この歳になってしまったからもう出来ない」「あの歳になったらあれをやろう」と考えること。そう考えてしまうのは日本の独自の風習なのだという。本書ではここまで厳密に分析されていないが、例えば日本では就職やアルバイトも年齢を重視される。その発想に囚われて自分を縛っていたので、私は目からウロコが落ちたような気分になってしまった。年齢にこだわらないということは、「今」を生きることとも繋がる。「今」をどうエンジョイするか。それが本書の主題となる。自分の人生。一度きりしかない人生をどう生きるか。私たちが生きられるのは過去でも未来でもないのだ。

自分の人生を、たとえ「80歳」になってもエンジョイするための知恵。それが本書では極めて平たく綴られる。例えば自分を卑下するのを止めること。若さは失われるものだが、それが意識まで老いさせてしまうと「今」をエンジョイ出来ない。自分の人生を「今」、例えば自分にプレゼントとして花を贈るとか、「アンチエイジング」として無理に若く見せようとするのではなく(若々しくファッションを飾るのももちろん重要だが)、年齢相応のお洒落をすること。そうした知恵も語られる。「フランス女性」が「個人主義」を保ち続けられていること、凛々しくありなおかつエスプリに富んだ演技が出来ることの秘密を見い出せたように感じられた。私の好きなジュリエット・ビノシュもまた「個性」の光る「フランス女性」なのだった。

繰り返すが、「私」のような読者を想定して野口雅子氏は本書を書いたわけではないだろう。それこそ本書に登場する多数のマダムに対して――「マダム」でありたいと思う「女性」に宛てて――本書は書かれたはずだ。だが、私自身本書を読んでいて敢えて下品な言葉を使えば「女心」が読めたかというとそうでもなかった。「今」の私の関心にそぐうものが多々あったのだ。私もまた「今」の年齢や独身であること(このくらいの個人情報は明かしても良いだろう)に引け目を感じていたところがあるので、「そうか、『個』を貫いて若々しく生きること、享楽的に生きることもまた生き方なのだな」と思ったのだった。めぐり逢うべくしてめぐり逢った一冊なのかもしれない。

すぐに役立つ知恵があるわけでもない。日本の「ヴァカンス」の悲惨さを考えれば彼の国での自由気ままな生き方――もっとも、ダルデンヌ兄弟の映画が指摘するようにフランスにも悲惨なところがあるわけだが――は真似られないと嘆かれる向きもあろう。それを嘆きながら本書を読むのも一興だ。揚げ足を取ることも出来る。だが、そうはしたくない。本書が語っている、「今」を積極的に前のめりに生きるその生き方を応援したいからだ。それはそして、私こそが改めて本書から教わった知恵でもある。自分の年齢や日本に住んでいるというネガティヴな側面に縛られてなにも出来なくなることをこそ恐れること。それを改めて教わった。そうしたメッセージが届いたことを記せばきっと野口雅子氏も喜ばれるのではないかと思うのだが、どうだろうか?