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踊る猫の生活

創作のような日常/日常のような創作

平川克美『言葉が鍛えられる場所』

言葉が鍛えられる場所

言葉が鍛えられる場所

 

蓮實重彦氏が皮肉交じりに綴っていたのを思い出す。「活字離れ」が叫ばれつつある昨今、では人は「活字離れ」に陥ったのかと言えばそうではない。書籍は売れなくなったかもしれないが、ネット上ではむしろ「活字」(言い方を変えれば「言葉」)は氾濫している。例えば Twitter を見てみよう。私も含めた夥しいアカウントが、数多と居る人物が「言葉」を放っている。マスメディアでもニュースは積極的に流されている。ブログも大量に作られているし、「本が好き!」のようなサイトで「言葉」を綴る方も居られる。アマチュアの詩人や作家も珍しくなくなった時代である。今までにないほど「言葉」は巷に溢れている。こんな時代は今までになかったのかもしれない。

「言葉」は危険な物質である。「言葉」が自分の気分を高揚させてくれることもある。何気なく開いた本の一ページに書かれていたフレーズがその人の価値観、引いては人生を大きく変えることもある。逆もある。例えば大量に書かれる心ない言葉、「氏ね」というようなスラングが人を本当に殺すこともある。私自身はどのような人間に関しても乱暴な言葉は使わないように心掛けているが、それでも憤った時に暴言を吐いてしまうこともあるしそうでなくても人の心を傷つけてしまうこともある。それは「言葉」を介して行われることなので、ただでさえコミュニケーションが不得手な私はその点で苦労している。「言葉」をどのように扱うべきか。

平川克美氏のことは不勉強にしてなにひとつ知らなかった。何故この本を読もうかと思ったのかも覚えていない。だからそれほど期待して本書を読んだわけでもないが(失礼!)、意外と示唆に富む本ではないかと思った。「拾い物」ではないか、と……平川克美氏の著作をもっと読みたくなった、そんな読書になった。本書はタイトルが示すように「言葉」について考察されたエッセイが 18 編収められている。ネットでの連載をベースに加筆したものだということもあってか、平川氏の「言葉」は柔らかくて分かりやすい。どう「言葉」と向き合うか、それが俎上に載せられて考察される。私自身本書を読んで唸らされた。

氏の「言葉」をこそ、つまり「言葉」が織り成す「思想」や本書で検討される小池昌代氏や鮎川信夫吉本隆明の「詩作」全体ではなく細部にこそ着目する姿勢は誰かに似ていると思っていたら、それは高橋源一郎氏だった。高橋氏も「言葉」にこだわり抜く作家である。実際に平川氏と高橋氏は交流があるらしく、なるほどなと思ってしまった。高橋氏のファンなら本書を読むことをお薦めしたい。高橋氏共々、現状の「政治」や「詩作」を取り巻く「言葉」という細部にこそ着目しそれに鋭敏に反応してその「言葉」遣いを厳しくチェックするところで似通っているのだった。私自身読みながら、己の鈍感さを恥じさせられたことを告白しておく。

本書で検討されるのは「詩作」であると述べた。てっきり私は平川氏のことを「詩人」であると思って本書を読んでしまった。だが、プロフィールを読むとこうした「詩作」について真正面から語った書物は氏にとって例外的なものであるらしい。つまり詩の分野では愛読者/アマチュアであれどプロの「詩人」ではないのだ。だが、氏の「詩」に対する態度は愛読者/アマチュアであることに逃げていない。私自身不勉強である「詩」という分野に――ある意味では散文以上に「言葉」の輝きが重視される分野の書物に――もっと触れたくなってしまった。鮎川信夫田村隆一、そして吉本隆明の「詩」を読もうかと思ってしまったのだった。

「詩作」だけではない。本書では現代の政治に関しても言及される。例えば 3.11 到来に依り Twitter の空気は変わってしまったと氏は変わる。言うまでもなく 3.11 はこの国に致命的なダメージを与えた。あの出来事以来、「些事」を書くことが難しくなってしまったと氏は書く。日常的にどんなことをやっているか……ということではなく、論争や炎上沙汰やヘイトスピーチが横行するようになった、と。この書物のベースとなった連載は 2013 年のものなので、直後ということもあってこうした印象を氏は抱かれたのかなと思う。そのあたり、「些事」しか取り敢えずは書かないことにしている私とは感覚のズレがあるが確かに Twitter の雰囲気がなにかあるとリツイートされて拡散され、炎上してしまう状況に変わってしまったのは確かだと思う。そんな時代においてこそ「些事」の呟き/囁きが重要なのだ、と氏は語る。

また、安倍総理を批判したところも読み応えがあるだろう。これは本書のキモとなる箇所なのでここで本書に関する評価は割れるのだが、安倍総理に関して平川氏はその「言葉」遣いに目を向けている。「嘘」を並べ立てる人物、「自分というものを棚上げしたところで、相手を打ち負かす道具としてだけ、言葉が存在している」(p.167)という人物であると。私自身安倍総理の「言葉」に何度か触れたことがあるが、良かれ悪しかれ無難なことしか語らない(安倍総理が「失言」したという話は、私が不勉強なだけなのだろうが聞かない)人物だなと思いつつ違和感を抱いていたのだが、その正体が掴めたように思った。もっとも、ではそうでない人物、「信念」をベースに政治を語ろうとしている政治家が何処に居るか……そう考えてしまうと暗澹とした気分になるのだが(それに「政治」とはそうした「打ち負かす」勝負の世界なのだ、だから平川氏は「ナイーヴ」なのだという批判も成り立ち得るだろう)。

金井美恵子氏は高橋源一郎氏を批判して、高橋氏のセンシティヴな態度を「カマトト」と皮肉った。同じようなことは平川克美氏に対しても言える。断言/暴言は吐かれない。分かりやすい結論を無責任に向けて来るということはない。それ故の弱みもある。アジテーションを求める読者にはお門違いという読書になるのだろう。だが、私は丹念に「言葉」をアマチュアの立場から考察してみせた姿勢を支持したい。氏は普段ビジネス書を書いておられるそうだが、このような「詩作」「言葉」について語った書物をもっと読ませていただきたいと思った。その意味では繰り返すが、意外な掘り出し物として私には本書は映った。