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踊る猫の生活

創作のような日常/日常のような創作

塚本晋也『野火』

創作のような日常
野火 [DVD]

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塚本晋也『野火』一度目。悩んだがネタを割る。とは言っても、大したネタではない。

世評に反して私は「そこまで」傑作だとは思わなかった。これは捉え方に依るところが大きいのだろう。基本的には劇的なことは特に起こらない。いや、起こるのだがそれはのっぺりとしたジャングル内の放浪や戦闘シーン(さえも何処かのっぺりしている)の起伏の中に掻き消されてしまうことになる。ただ、愚作だとか駄作だとかそういうことも思わない。どんな映画も基本的にはそうなのだが、こちらを試している野心作だと思われた。

宮台真司氏がテレンス・マリックシン・レッド・ライン』を引き合いに出してこの映画を語っておられた。それは映像美に注目してのことではないが、確かに似通ったところはある。『シン・レッド・ライン』がジャングルの滴るような緑色の葉を茂らせた木々を描いていたように、この映画でもデジタル撮影(と思われる)でジャングルの木々を鮮やかに描いている。それはなるほど美しい。ジャングルの中は非日常的な空間なのだ。

そしてそれは、戦争中という紛れもない「非日常」を生きる人々の姿を、その悲惨な姿を描くのと好対照を成している。血塗れになりながら、肉を砕かれながら辛うじて生きている人々の血の赤い色と(この「赤い色」が鮮やか過ぎてリアリティがもうひとつ伝わりにくいように感じられたのも、この映画を前のめりに観られなかった原因かも知れないが)その緑色は補色の関係にある。これもまた「好対照」なのだろう。

ジャングル、そして戦時下……そんな「非日常」を、しかし先も述べたように特に劇的なことが起こらず平坦な放浪を続ける人々は生きさせられている。それはそんな「非日常」であっても/だからこそ「日常」に収斂されてしまうとあたかも語っているかのようだ。彼らは「非日常」をこそ「日常」と生きねばならない。このパラドックスを過酷と受け取るか、いや戦争はもっと「非日常」のものであり「日常」ではないと拒絶するか、そこで好みは割れるだろう。

エンターテイメント性に頼らず、地味に、しかし誠実に戦争を描き切った監督の姿には凛々しさすら感じる。これは過褒ではあるまい。大岡昇平に依る原作は既に読んでいたので、ここでネタを割るが禁断の人肉食をどう描くのか観てみたいと思った。だが、原作は過剰なほどの内面描写/心理が描き切られていた。それに比べると主人公はモノローグで内面を告白せず、ただ何処までもジャングルを無言で放浪し続けている。私はそれが弱いのではないかと思って観てしまった。

だが、違うのかもしれない。映画において内面が延々と吐露されると逆に鬱陶しくなる。モノローグばかりが延々と呟かれる映画ほど退屈なものもあるまい。映画は基本的には活きの良い会話と演技がものを言う。そこで私は最初は「弱いな」と思ってしまった。あるいは、原作を読んでいたが故にこんな評価になってしまったのかもしれない。これは原作を読み直す必要があるようだ。

だが、ともすれば戦時下のフィリピンのジャングルを皮肉にも神に祝福されたような鮮やかな大自然として描いたかのようなこの映画は先述した「非日常」をこそくっきりと描いており、そして戦闘自体が「日常」として描いているそのコントラストこそ素晴らしいとも言えるのだった。そこが私のようなスジに起伏を(分かりやすく)求める人間には不満に映るのかもしれない。それが私の限界なのかな、とも。

これ以上のことは観直してみないと語れない。先述した「非日常」が「日常」となってしまうパラドックスをどう受け取るか。観衆の素養が問われる由縁である。私は説得力を感じたが、どう物足りなく感じたのかは既に書いた。だが良かれ悪しかれこちらを「試す」映画であることは間違いがないと思う。いや、またしても凄まじい作品に出会ってしまったものだ。