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踊る猫の生活

創作のような日常/日常のような創作

スマホが私にくれたもの(は「キリンが逆立ちしたピアス」ではない)

アノミー&ボノミー

アノミー&ボノミー

 

お題「スマホ」

去年の六月にそれまで頑固に使い続けていたガラケーが壊れてしまったので、お酒も止めてお金も浮いたのでちょうど良いやと思ってスマホを持つようになった。それで、ぼんやりと今読んでいるニコラス・G・カー『ウェブに夢見るバカ』を読んでいて自分の生活がどうなったのか振り返ってみた。あくまで「ぼんやり」だ。

これはスマホではなく外部のサーヴィスを利用するようになったからなのだが、例えば散歩の途中に花が咲いているのを見ると Instagram で一枚写真を撮りたくなってしまった。こういう小さな変化がスマホ依存を高めて(強めて?)いるのではないかと考えてしまった。

www.instagram.com

インスタが示している通り、なんというか日常が「ネタ」の一種になっているというのか、なんでもないような些事を他人に楽しんで貰うためにやっているというのか……一種の赤裸々さ/露悪趣味が強まったことは確かだ。これが更に強まると承認欲求とかいうようなものを求めるようになるのだろう。実際に TwitterFacebook や LINE や Google+ で(どんだけ SNS 入ってんだ!)連絡を取り合う機会は頻繁に増えた。とは言えそんなに繋がりたいかというとさにあらず。一日中スマホとにらめっこということはなくて、ソシャゲもやらないのでただぼんやり思考停止したい時にスマホを見ている。それは今までも変わらないし、これからも変わることがない。

『ウェブに夢見るバカ』を読んで、ネットがなかった時代(を生きていた世代である)のこととかぼんやり思い出してしまい、スマホが自分の生活をどう変えたか考えていた。本や映画や音楽に割く時間、あるいは友達と長電話する時間がネットやスマホに多少食われたというのは事実だ。これをニコラス・G・カーみたいにシニカルに捉えたくはない。「ネットがなければ良かった」とか「ネットは人を苦しめている」とか、嘆こうと思うのは簡単だ。もちろんネットがどんな害悪をもたらしているかを鋭く指摘する彼の意見には傾聴せざるを得ない部分もあるが、そのあたりは分けて考えたい。

それで、つい最近も韓国の SNS ユーザーと英語を勉強し合う某コミュニティ/グループで知り合ったところであり、彼(だと思う)とも仲良く接している。こういうのはメリットに入るのではないだろうか。逆に言えばその分だけ私がリアルで知り合える人間と接点をなくしたとも言えるわけで、話は複雑になるのだろうが……ともあれ、スマホに話を戻せばその SNS ともアプリ一個で気軽に繋がり合える状況なので、これもまたスマホ様々と言わなければならないのかもしれない。逆に考えれば私はこれで一歩スマホの罠に掛かったとも言えるのだろう。甘い蜜で獲物を誘う食虫植物のように。

スマホの罠、ということで言うのであればスマートニュースを読める環境を整えたのだけれど、四六時中ネットと繋がり合える状況に陥ってしまったということが陥穽として挙げられるのかもしれない。私は敢えて「リアルと繋がり合える」とは書かなかった。繋がるのは「ネット」なのである。前に別の形で書いたかもしれないけれど、「ネット」の中には色々なものがある。歴史修正主義者、「ネトウヨ」、「パヨク」、「アスペ」云々。その気になればドラえもんを韓国起源のものにだって出来るのだ。ネットはそういう良かれ悪しかれ雑多な言説に満ちている。

パソコンは持ち運べないが(ノーパソは持っていないので……)スマホは何処にでも持ち運べる。なんならお風呂でも。だから事実上は二十四時間ネットが身近にある生活を過ごしていると言える。スマホは興味深い読み物を提供してくれる反面、現実逃避のメディアにならざるを得ない……と書いて、そんなに簡単に「現実」「リアル」と「ネット」の峻別が出来るものかどうか分かりかねている。このあたりでドライに斬れないところがニコラス・G・カーと私の違いなのだろうか(彼の言葉もなかなかヌエのような一筋縄では行かない「食わせ物」ではあると思うが)。

とまあ、そんなこんなでもう字数もかなりのものになってしまったので今日はこれにて。結論を言えば、スマホは多分私の生活を変えた。ネットを身近なものにしてくれた。だが、それで私の生活が損なわれたかというとそうでもないような気もするし、特をしたということもないようにも思う。リアルで知り合える可能性の高い人間を探す努力をしなくなった代わりにネットで他人とディープに知り合えるようになった。人間に限らず情報だってそうだ。ネットは便利な反面、自分の生き方を補強してくれるどんな根拠だって提供してくれる。スマホがそうしたネットとの「絆」をより強める微妙なメディアであることは間違いがないのだろう。これ以上はまた別の形で。