踊る猫の生活

創作のような日常/日常のような創作

人は「多少の欺瞞」がないと生きられない

ライスボーイ・スリープス

ライスボーイ・スリープス

 

こんなツイートを目にした。

先日嫉妬について書いたのだけれど、今のところ誰かに対して嫉妬とかそういう感情は抱いていない。嫉妬が「ネガティブな感情」なのかは置いといて(嫉妬から生まれるものもある。ビートルズに「嫉妬」してブライアン・ウィルソンが『ペット・サウンズ』を作ったように)、「ネガティブな感情」というのもそれはそれで悪くないのかもしれないな、ということを考える。これは頭木弘樹さんの『絶望読書』を読んだ経験や、私が好んでネガティヴとしか言いようのないレディオヘッドフィッシュマンズの音楽を聴いてしまうように、そういう気分に浸りたくなる時もあるのである。

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それはそれとして、昨日是枝裕和監督の映画『海よりもまだ深く』を観た。個人的判断では『海街diary』にはあと一歩及ばないものの(私が女性が好きだから甘くなってしまうというのもあるのかもしれないのだが……?)、なかなかの力作だと思った。海外でケン・ローチが、日本で橋口亮輔氏が取り組んでいることを是枝裕和監督も生真面目に取り組んでいると思ったのだ。評価は割れるだろうが、私は『歩いても 歩いても』を拡大再生産させたような作品だと思う。是枝監督は常に前に進み続けている。それが頼もしく思われた。

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この作品を読み解く鍵は「書く」ことにあるのではないかと思う。女性が押し並べて筆が達者であり(主人公の母親は別として)、主人公の男が書くことが下手であることがなにかを象徴しているように思われたのだ。そもそも主人公の男は文字も下手だし書いているものもあまり評価されていない。それはそのまま生きづらさに通じるのだろう。いつまでも夢を諦め切れない……それに反して女性は――是枝監督の女性観は実に興味深いが、またの機会があれば――サバサバと現実を受け容れて順応して生きている。だが、それは果たして幸福なことなのか。

そんなことを考えていたら頭木弘樹さんのツイートにぶつかってしまったのだった。

それで考えさせられた。「多少の欺瞞」というのは多分、無理をしてでも自分を肯定する心構えだろう。そりゃそうだ。人はただ単に生きている。その生に意味があるだのないだの、誰に言えるだろう。黒沢清監督『降霊』で、「地獄はあると思えばあるし、ないと思えばない」というようなフレーズが登場するが(哀川翔氏がこう言い放つ場面は私のお気に入りなのだ)、意味があると思われるのならそれはその人の生なのだろうし、ないと思うのならないのだろう。それを決めるのは他でもなく自分しかない。でも、自分の頭で考えるのはなかなか難しい。だから人はカルトや文学や映画にのめり込むのかもしれない。

「多少の欺瞞」の中に(さっきの「ネガティブ」と話が繋がらなくなってしまうが、まあそういう日もあっても良いと思って下さい)「夢」を加えるのはどうだろう。ネタを割るのは慎むが、『海よりもまだ深く』で主人公が自分の夢を語る場面がある。なりたいものになれたか……そう考えると私自身なりたかったものにはなれていないのだけれど、それを引きずり続けて生きているのもなんだかしょうもないことのように思えて来る。昔は昔、今は今。そう割り切って腹を括って生きているのだった。これは『海よりもまだ深く』の女性の考え方なのだろう。私は貧乏だし文字も下手なのだけれど(笑)。

要するに「ネガティブ」な感情も捉え方に依ってはポジティヴに変わるよね……という話をしたかったのだけれど、これ以上は "To be continued." ということで。