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踊る猫の生活

創作のような日常/日常のような創作

創作のような日常
zatracenie

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お題「梅」

梅の花を撮影したのだった。春はそこまで来ている。

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梅といえば梅酒……というようなことを考えてしまうのは『海街diary』の悪影響だろうか。是枝裕和監督に関して言えばこれから『海よりもまだ深く』を観るつもりなのだが、ふと吉野朔実是枝裕和監督作品をどのように観たのか気になってしまうのは復刊された『シネコン111』を買った影響だろうか。

新装復刊 吉野朔実のシネマガイド シネコン111

新装復刊 吉野朔実のシネマガイド シネコン111

 

映画に関して言えば差し当たって『シークレット・サンシャイン』も観たいのだった。韓国映画はずっと食わず嫌いだったので(キムチはここ最近良く食べているのだけれど……)気になっているのだ。そういえば、韓国の方と Google+ で知り合う機会があった。英語と日本語と韓国語を使い分けておられる方だ。トリリンガルというやつだろう。私には到底真似出来ない。腐らずに英語の勉強をきっちりやろうと褌を締め直したところである。ちなみにその方には映画のお薦めとして『ある優しき殺人者の記録』を挙げたのだが、果たしてどうだろうか。

その韓国の方と知り合ったのはとあるグループで英語の勉強がてらに話し掛けたり掛けられたりしたからだったのだけれど、英語で語らうことは楽しい。まあ私の出来る英語なんてたかが知れている。「I have a pen. I have an apple.」をひたすら繰り返すだけだ。でもそれでも通じるものは通じる。通じた時はやり甲斐がある。達成感がある。昔なら英会話でそれなりにカネが掛かったものだが、今はほぼタダで英会話を学べる。良い時代になったと言わざるを得ない。なにも私はトークショーのホストになりたいわけではないのだから、素人っぽい英語で良いのではないか?

そういえばここ最近思ったことがあるのである。人は、どんな風にでも生き方を選べる。断酒会の全国大会に二度行って/行かせていただいて、落ちるところまで落ちた人を沢山見させていただいた。その方々が必死で奮闘されておられるのを見て、自分は自分なりに酒を止めてからのこれからの自分自身の人生を築いて行かなくてはならないのだ、まだやり直せる……そう思ったのだ。差し当たって私が欲しいものはカネではなく(いや、あるに越したことはないのだけれど)、映画を自由に観られる環境なのだ、と。それが整えば私は充分過ぎるほど幸せだ。

そんなわけで、映画を自由に観られる環境でネトフリや TSUTAYA DISCAS などを使って映画を観ているのだった。あとは英語の勉強。前にとある尊敬するミュージシャンに対して顰蹙を買ったという話をしたが、あまり礼儀正しく日本流に話し掛けるのもどうかなと思い今度はフレンドリーに「Hello!」と話し掛けようと思っている……そう考えて思ったのだった。まあ、どんなに礼儀正しくしていても、どんなに真面目にしていても嫌う人は嫌うし、離れる人は離れる。それがこの世の定めというものではないだろうか、と。

そう考えれば、私の今の姿を見ていて間違っていると誰が言えるだろう。いや、言いたい人は言えば良い。私は私の道を歩む。そう考えてから、他人の生き方にとやかく言うのを止めた。ネット上でどんな愚行を行おうが、それが私の身に降り掛かって来なければあとはその人の勝手。私がどんな愚行を行おうが相手が迷惑でなければ良いではないか、と。そういうわけで早速人前で昨日か一昨日買った『Quit Your Band』を人前憚らず読んでいるのだった。ナンバガくるりスーパーカーについて言及される部分で「おおっ」となった。読み進めるのが楽しみだ。

Quit Your Band! Musical Notes from the Japanese Underground (English Edition)

Quit Your Band! Musical Notes from the Japanese Underground (English Edition)

 

人間は変わるものなのかどうなのか……そんなことをあれこれ考えたことを思い出す。でも、ありのままの自分で居ても良いのだと取り敢えずは思うことにした。間違っている行動があれば修正すれば良いだけだからだ。あと、発達障害者にとって不利なデータを探すのもそろそろ止めないと行けないだろうなと思い、最近はやっていない。ネットの中は広いのだから「南京大虐殺はなかった」「ホロコーストはなかった」という説だって補強出来るのだ。この目で見たこと、この手で触れたこと、この肌で感じたこと、それが全てだ。