踊る猫の生活

創作のような日常/日常のような創作

手帳とスマホ

The Long Seasoned Sleep

The Long Seasoned Sleep

 

お題「手帳」

手帳は持っていない。持っていてもすぐ失くすか、あるいはすぐ書かなくなるからだ。だからこれまではテキトーに(そんなに予定が多い人生でもなかったので)乗り切って来たのだけれどそんなわけにも行かないのかもしれない。

特になんのプランもなく買ったスマホなのだけれど、メモ的な意味ではかなり重宝している。なにせ筆記用具を取り出す手間が掛からない。その場で(というより安全な場所に行って)思いついたことをあれこれとメモるというのを習慣づけている。これは断酒会に行った時でも結構役に立つ。ただ、だからと言ってスマホばかり見て話すわけにも行かないので剣呑である。やはり紙の手帳にメモったものを読み上げる方が印象は良いようだ。スマホはゲームも出来るので、遊び感覚で(つまり不真面目に)相手と接しているという印象を与えてしまうのだろう。

栗原類さんの著作を読み、スマホというメディアが如何に重要であるかを思い知らされたところだ。この本では発達障害(もっと細かい区分けも出来るのだが、手元に本がないので失念)の栗原さんがスマホを頼りに日常をどう凌いでいるのかが語られている。なるほどな、と思わされる。私が若かった頃にスマホがあったらどれくらい生きやすかったのか……まあ考えてもムダな話なので考えないのだけれど、そんなことをぼんやり考えることはある。今の人はブログがあったりネットライターとしてデビュー出来たり柔軟で良いなあ、と……趣旨から外れるのだが。

発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由
 

一方で「スマホ断ち」という方向に向かう方も居られる。作家だと海猫沢めろんさんや藤原智美さん、田中慎弥さんといった方々だ(海猫沢めろんさんの著作は読んだことがあるが、他の方のものはこちらの怠慢に依り読めていない。お寒い限りなのだった)。

頑張って生きるのが嫌な人のための本~ゆるく自由に生きるレッスン

頑張って生きるのが嫌な人のための本~ゆるく自由に生きるレッスン

 

手帳だとなんだか堅苦しくなってしまうので(メモ書きの羅列だとノートが汚く感じられるので)、このあたりもスマホの合理性が役に立つのかもしれない。まあこれは私が真面目過ぎる(と言われることもあるのだ)からなのかもしれない。細かいところが気になる、というかな。

手帳と言えば『カミュの手帖』という本を読んでみたことも思い出してみた。この本は読破出来ていないのだった。読みながら、これは『異邦人』や『ペスト』を読まないと行けない本なのだろうなと思ったからである。つまりこれも怠慢である。この年齢になるまでそんな本を読んだこともないのだから。

カミュの手帖 1935‐1959

カミュの手帖 1935‐1959

 

まあ「思い立った時がいつだって適齢期」という格言(?)もあるのだから、こんな混迷を極める時代に『異邦人』や『ペスト』を読めたのは幸せだったのかもしれない。これからゲーテドストエフスキーに挑もうと思っているのだけれど、巧く行くかどうか。今後のそれこそ「真面目さ」が問われて来るところである。

なんの話だっけ……そうだ「手帳」の話だった。そういうわけでほぼ日手帳さえつけていないのだけれど、スマホは水の中に落としてしまったり踏んだりしてしまったら使い物にならなくなるので、そういうものは大事に保管しておいて日常的には紙の手帳を使い分けるという柔軟性が必要となって来るのかもしれない。

そういうわけで、これからでも遅くはない。四月始まりの手帳を買って持ち歩くクセをつけようかなと思っているところである。ただ、近所の書店には高橋書店の手帳しかないので、パイロットの手帳は置いていないのだった。近々姫路駅前に行く予定があるのでそこで買おうかな、とも思う。まあ、そんな感じですね。あるいはほしいものリストを右横のリンクに置いているのだけれど、そこから買っていただければとも……。

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