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踊る猫の生活

創作のような日常/日常のような創作

自分を変えることは難しい

耳と目そしてエコー

耳と目そしてエコー

 

断酒会に入って、つくづく過去の怠慢について恥じさせられる。過去の怠慢とはなにか。それは若かった頃、もっと頭が回っていた頃をお酒に溺れてムダに過ごしてしまったことだ。以前の「タラレバ」の話ではないけれど、あの頃のカネと時間をもっと有意義に使っていればと思うこともないでもない。まあ、今を生きるしかないのだが……。

例えば英語。これは最近「IMDb」というアプリ(?)があって英語で様々な映画を批評するという(日本で言うところの Filmarks 的なノリなのかな? 良く知らない)ものなのだけれど、もちろん英語なので日本人の/日本語圏で過ごしている私には良く分からない。昨日ダウンロードして読んでみたのだけれど歯が立たなかった。英検二級を取得しているはずなのにお寒い限りである。ここは是非初歩の初歩から学ばなければならないと腹を括っているところなのだった。

村上春樹「かえるくん、東京を救う」英訳完全読解

村上春樹「かえるくん、東京を救う」英訳完全読解

 
村上春樹「象の消滅」英訳完全読解

村上春樹「象の消滅」英訳完全読解

 

今のところ仕事上英語を使わなければならないという環境に置かれているわけではないので、その意味ではお気楽なものである。ただ、出来ないよりは出来るに越したことがないのでやってみようかな、と……私は「勉強」嫌いな性格なので、よほどの必要性がなければ動けないのだった。そのあたり、本当に自分が主体性がなく生きて来たということなんだろうと思う。まあ今からやり直せないわけでもないとも思うので、少しずつ始めて行くつもりだ。一年後か二年後に自分がどうなっているのかを想像しながら英語の勉強をするのも良いのだろう。語学は精神衛生上良いととある批評家も言っている。

ひとり酒で、本当にパソコンの前に座ってお酒を呑んでいたので人と巧く喋れないのが悩みなのだった。こういうことを言い出せばそもそも発達障害者であるということもつき纏ってくるのだが……これに関しては『ライムスター宇多丸の映画カウンセリング』を読んでみたら、芸人さんのように喋る必要はない、伝えたいことがあるかということと伝えたい気持ちがあるかどうかということが大事なのだというようなことが書かれていたのでそれを頼りにしているところである。

www.honzuki.jp

とまあ、自分を変えることは難しいということを痛感しながら仕事をしている。ただでさえ私は変な人だと思われがちなので(私も自分のことは「変な人」なのだろうなと思っている)、こういう時に断酒会の先生ならどう仰られるだろうかと言うようなことを考える。「今のままの貴方で居ても良い」と仰るのか、「変わろうとしている貴方は素敵だ」と仰るのか。それを訊けなかったことが残念である。

他人からどう思われるかを気にし始めていれば、そもそも「お酒を呑んでいた頃のロボットみたいな貴方の方が良かった。逆にウザくなった」とか「本来貴方とはただでさえ一緒に仕事をしたくない」とか思われているかもしれないとも思うのでそのあたり「考えない練習」をしているところなのだけれど、どうしても考えてしまう。まあ、これも性分なのだろう。私のことなんかどうでも良いという人だって居るだろうから……。

来週(というか今週の土曜日)医師と話し合う機会があって、今のクスリの量を現状維持で留めるか減らすかということを訊いてみたいとも思っているのだった。今は波が上向きに行っているので良いのだが、ヘタにクスリを減らすと墜落してしまうかもしれない。かと言って今のまま波が上に向いているままだとそれこそ周囲の方にとって有難迷惑ということもあり得ると思うので(それこそこの波が落ちる時は怖いので)、まあそういう話が出来れば良いかな、と。

もっと人生というものはテキトーに考えれば良いのかもしれない……と考えて、テキトーさを学ぶにはどうしたら良いのか、そんなことも考える。それこそ『考えない練習』という本を読んでみることもやってみたいし、まあこれに関しても課題は山積みだ。ちなみに黒沢清監督の映画は結構テキトーさを鍛えるのに良いと思うので(『ニンゲン合格』など)、まだ観たことがないという方は折角 DVD も廉価版のものが出たというのもあるので観てみて下さい。あるいは『カリスマ』『トウキョウソナタ』『ドッペルゲンガー』なんかも良いのかもしれない。人はどうしたって生きる時は生きるし死ぬ時は死ぬものなんだな、という虚無感を学べると思うので