踊る猫の生活

創作のような日常/日常のような創作

雑談力

BIG“SAD”TABLE

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今週のお題「新しく始めたいこと」

特にこれと言ってないのだった。英語の勉強はサボっているので(!)また語学力を身につけるために色々やらなければならないなと思うのだけれど、その前に日本語での語学力を身につけたい。これは冗談ではなく本当のことで、私は人と話すのが大の苦手なのだった。

雑談力が上がる話し方―30秒でうちとける会話のルール

雑談力が上がる話し方―30秒でうちとける会話のルール

 

こんな本を借りて読んでみようかなと思っている。発達障害者(医師にまた確認してみるが、恐らくはアスペルガー症候群)の人間として「雑談」は大の苦手なのでこれまで必要のない時は黙っていたのだが……職場に依っては「雑談しているヒマがあったら黙って手を動かせ」というところもあったので、そういうことが出来なくても良かったのだけれど、今はそうは言っていられないようにも思う。なので「雑談」のネタを探すのだけれど、せいぜい「村上春樹の新刊が出ますよね」程度のことしか出て来ないのが我ながら情けない。あるいは「『シン・ゴジラ』の DVD が発売されますよね」とか……。

考え過ぎが私の悪いクセであるのは分かっているのだけれど、私には「波」があって鬱の時はとことん落ちる。今はむしろ躁なのかもしれないのでまた来るだろう落ち込みに備えているところなのだけれど、それでも「あんなことを話してみたい」「こんなことを話してみたい」という気持ちはついて回るのだった……先に書いたことと矛盾するではないか、と言われそうだ。躁の時はこんな風に取り留めがなく思考が回るのである。自重しなければならないのだろう。それでも落ちる時は落ちるのが剣呑である。精神障害者三級の由縁である。

考え過ぎ、ということで言えばジーザス・アンド・メリー・チェインの曲に「Everything's Alright When You're Down」という曲がある。「お前が落ち込んでいる時は全てが上手く行く」というような意味なのだろう。考えてみれば私は自分がネガティヴな時はとことん周囲を心配させるし、ポジティヴになったらなったで周囲に有難迷惑を掛けてしまうので、こればかりはなんというのかやはり自分は黙って仕事をしていたり生きていたり、石ころのように生きるしかないのではないかとも思う。ただ、そうすればそうしたで「もっと心を開いて貰いたい」と言われるのが剣呑である。

あるいは、こうやって考え過ぎることが自爆するとも言えるわけで……なので、なかなか他人に対するヴァランスが定まらない。相手はそんなに気にしていないよ、とか、話し辛いと思われているんだろうな、とか……なんだか書いているだけで気が滅入りそうになって来たのでこのあたりで止めておくが、どうにも「テキトー」に生きることが出来ないみたいなのだ。これに関しては『考えない練習』という本も読んでみようかなと思っている。「マインドフルネス」という言葉も気になりつつある。そういうのを薦められたことがあるので……。

考えない練習 (小学館文庫)

考えない練習 (小学館文庫)

 

「どんな方」に対しても懐にそっと入って行ける方が羨ましい。私は考え過ぎと不器用さがついて回るので人見知りするというか、愛想笑いさえ浮かべられない。それでもこれから「私はアスペルガー症候群だから笑えません」とデカデカと周囲に言って回るわけにも行かないので、自分なりの「雑談力」を発揮しようと思っているのだが考えることと言えばドナルド・トランプのことだったり、最近観た映画(すんごくマニアックな映画)のことだったりするので、なかなか発揮出来ない。これまではネットに溺れていたから出来なくても気にならなかった問題が気になるということなのだろう。

そういうわけで、冒頭のお題に戻るとするなら「『雑談力』を鍛える」ということなのではないかという情けない言葉しか出て来ない。あとは、酒に溺れて腐ってしまっていた自分のスキルをどう磨くか(先述した「英会話」がどうとかだ)ではないかと思っている。ただ、英会話よりも先に日本語の会話を巧く出来るようになりたいのだった。

ネットでは自分と同じ悩みを抱えている方が居られる。そういう方の存在を頼りに自分の限界を正当化させることが出来るのだろう。ただ、私はリアルを生きなければならないので(ネットでメシを食っているわけではないので)、今後交渉や円満な人間関係を作るにあたり「雑談力」を鍛える……そういうところから始める、というオチでこのエントリを締め括りたい。