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踊る猫の生活

創作のような日常/日常のような創作

二十歳

創作のような日常
ストレイ

ストレイ

 

お題「20歳」

二十歳の頃はアズテック・カメラのこのアルバムを聴いていた。このアルバムが初のアズカメ体験だったというのは幸せなことなのか不幸なことなのか。私には分からない。このアルバム自体はそれほど良いとも思わないのだけれど、ウェス・モンゴメリーを意識したと言われる大人びた雰囲気は面白いと思う。

アズテック・カメラは言うまでもなくフリッパーズ・ギターの「元ネタ」だが、そんなにフリッパーズ・ギターを聴いていた時に「元ネタ」を探って聴いていたかというとそうでもない。ヒップホップのファンの中には DJ がサンプリングした「元ネタ」を探して聴き漁るという方もおられるようだし、それはそれで批判するつもりもないのだが私はそんなに「元ネタ」に拘らず聴いているのだった。まあスタイル・カウンシルは聴いてみたが、オレンジ・ジュースは今に至るも聴いていない。

粉川哲夫さんと三田格さんの『無縁のメディア』という本を読んだ。

無縁のメディア 映画も政治も風俗も (ele-king books)

無縁のメディア 映画も政治も風俗も (ele-king books)

 

この本の中で三田格さんが最近の若者は J-POP の「元ネタ」を教えると嫌がられるという風潮について書いておられたが、それは最近の若者に留まらず私が若かった頃もあったことだとも思う。私も若い頃に佐野元春氏の「元ネタ」を知って落胆した思い出がある。それでも私は佐野元春氏を聴き続けているのだけれど、目の前のものをオリジナルというか唯一無二であって貰いたいと考えるのは今時の若者に留まらない心理なのではないかと思う。

これに関しては多分人にも依るのだろう。私みたいにフリッパーズ・ギターばかり聴いてそれで自足してしまう人間も居れば、そんな風に引きこもらずに貪欲に「勉強」して行く人も居るのだろうと思うからだ。私は「勉強」(例えば「岩波文庫を読破しよう!」というノリ)が大嫌いなので、自分の気が向いたことしかやっていないのだった。映画についても音楽についても本についても、そうした自分の怠慢と体質故に知識の「抜け」はかなりあるように思う。

粉川哲夫さんと三田格さんの『無縁のメディア』自体は議論のツメも甘い本なのだが、そのスリリングな即興演奏のような論理の飛び具合が味となっているようにも思われる。読みながら、この本の議論について行けるだけの「映画」の知識がないこと――つまり「不勉強」ということ――について反省させられた。まあ私はプロのライターではないので映画に関してそんなに知識なんてなくても良いわけだが(「映画」のみならずなんでもそうだが)、本書を読むと好奇心をそそられる。それで、最近になってまた映画を観始めつつある。

話を「二十歳」に戻そう。二十歳頃はブラーの『パークライフ』を良く聴いていた。

パーク・ライフ

パーク・ライフ

 

ブラーの『パークライフ』も色々「元ネタ」があるようだが(デヴィッド・ボウイXTCジュリアン・コープなど)、私はそれらを貪欲に探して聴いてみたというわけでもないのだった。だからやはりこれは性格故のものではないだろうか。最近の若者の風潮がどうとかそういう問題でもないような気がする。それとも私の観測範囲が狭いだけなのだろうか。

先にも述べた通り私は「勉強」が大嫌いな怠惰な人間なので、この年齢になっても聴いていないアルバムや詠んでいない本、観ていない映画などは多々あるのだった。そんなに「隈なく」楽しんでいるわけではない。去年も読もう読もうと思っていたドストエフスキーを結局『死の家の記録』と『地下室の手記』しか読めておらず、漱石も読めていないのだった。これから読み始めなければならないのだろう。

これに関しては他の読者の方に意見を聞きたいと思っている。ここ最近なんだか鬱なのか良く分からないが、ネットに積極的に関わりたいと思えないので Twitter も控えているのだった。世間では恩田陸さんが直木賞を獲ったし稀勢の里横綱になったり村上春樹氏の新刊が出たりで忙しいが、私は黙って本を読んだり映画を観たりすることに励んでいる。だから特に体調が悪いというわけでもないので安心していただきたい。