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踊る猫の生活

創作のような日常/日常のような創作

メメント・モリ

創作のような日常
LONG SEASON’96~7 96.12.26 赤坂BLITZ

LONG SEASON’96~7 96.12.26 赤坂BLITZ

 

映画を二本観た。堤幸彦『悼む人』とウベルト・パゾリーニ『おみおくりの作法』だ。

悼む人 [DVD]

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おみおくりの作法 [DVD]

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どちらも一条真也氏の『死を乗り越える映画ガイド』で紹介されていたものだ。

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結論から言えば、どちらに関しても面白かったかどうかと言えばかなり微妙……である。それに関してはいずれまた書く日が来るかもしれない。ただ、両方とも「死」を真っ向から取り扱っているという意味ではなかなか興味深い映画たちなのではないかと思われた。『悼む人』も『おみおくりの作法』も、誰にも悼まれなかった死者を追悼する人物が登場するという共通点がある。死者を悼む……それは忘却の彼方へと追いやられてしまう人物をいつまでも忘れないという営みの謂であるだろう。そんなことが可能なのか。

私自身はこれでも(こんな脳天気なことを書いていても)「明日自分が死ぬかもしれない」と思っているつもりだし、周囲の誰もがいずれ死ぬ定めにあることを受け容れて生きているつもりでもある。それは諸行無常というやつであろう。今のところ永遠に人は生きることは出来ない。ただ、最近断酒会の参加者のとある方が亡くなられたというニュースを知り動揺しているところでもある。その意味では私はまだまだケツの青いガキなのだろうと思う。漠然と去年の年末に青木新門氏の著作を読んで「死」について考えてしまったことを思い出す。

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去年の年末は――親しい友達から絶縁を言い渡されたからなのかもしれないが――かなり落ち込んでいた時期である。だからなのだろう。いずれ訪れる自分の「死」というものをどう捉えるか、相当に悩んだ。私は職場でも断酒会でも「貴方は精神的に『波』がある」と言われることがあるのだが、落ち込む時は相当に落ち込む。今のところは波が上向きにこちらを押し上げているのだけれど、今後また鬱が来るのかもしれない。

その落ち込んでいた状況を救ってくれたのは夏目漱石の随筆であったりカミュの小説であったりしたのだけれど(石光勝『生誕101年 「カミュ」に学ぶ本当の正義』は本当に良い本だ!)、今は目先のことに集中しようという堀江貴文氏の言葉に支えられて仕事に励んでいるところである。周りが見えなくなるくらい集中している。

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話を映画に戻すと、『悼む人』も『おみおくりの作法』も死者を営むという行為を孤独に続けている方、献身的に続けておられる方の話である。誰かとともに誰かを悼む……そういうことは難しいのだろうか。もちろん集団で死者を悼むことも出来るのだろう。このあたり考えが纏まっていないが、しかし私は死者を悼むということは何処までも「個人的」な作業のような気もする。これに関してはそれこそ『おくりびと』のような映画を観て考えたいところである。プライムビデオで観られるようなので観てみようと思う。

おくりびと [DVD]

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そう言えば前回書いた、私に笑うことを教えて下さった断酒会の先生の方も去年の今頃亡くなられたのだった。そう思うと人生は儚い。人間が成し得ることはどんなことなのだろうか……私は断酒会で亡くなられた方もその先生も、私が生きている限り覚えておきたいと思う。もちろん日々の生活の中でそうした方のことを考えなくなることもあるのだろう。それが薄情なことだと言われればそれまでだとも思うし、いや仕方がないことだとも言われればそれもそうかもしれないと思う。死者は私が覚えている限りそこに居続けるのではないかと思ったりもする。それで充分なのか、それでは足りないのか。

あまり深く考えると気持ちが陰鬱になるばかりなのでこのあたりで止めておく。ただ、これからも誰かの「死」、あるいは私の「死」は切実なものとして訪れるのだろう。それだけは忘れないようにしたい。それを「乗り越える」ことは可能なのかどうか。青木新門氏の著作では親鸞の思想が紐解かれていたのだった。『納棺夫日記』は良い本だと思うので(気分が塞ぎ込んで活字が頭に入らなかった時期にスラスラと読めたのが不思議だった)、もっと読まれるべきだと思う。

本当は映画を観ることや死者を悼むことと「旅」をすること(『悼む人』も『おみおくりの作法』も、基本的には「旅」をする人の話である)を、沢木耕太郎氏のエッセイと結びつけて書きたかったのだがそんなことも言ってられなくなった。また明日にでも書くかもしれないし、書かないかもしれない。