踊る猫の生活

創作のような日常/日常のような創作

タラレバ

EMISSIONS

EMISSIONS

 

今週のお題「私のタラレバ」

沢木耕太郎氏の映画評論集で『世界は「使われなかった人生」であふれてる』というものがある。このお題を見た時に真っ先に思いついたのがこの本だった。途中まで読んで、ここ最近映画に関して全く興味が薄れてしまったせいもあって挫折しているのだった(折角このお題をいただけたのだから、また読み始めようかと思っている)。

世界は「使われなかった人生」であふれている (幻冬舎文庫)

世界は「使われなかった人生」であふれている (幻冬舎文庫)

 

沢木氏は人生の分岐点について語っておられる。有名なエピソードだろうと思うのだが、沢木氏自身は会社に入社が決まったけれどある雨の日に出勤する途中でやはり会社に行くのは止めようと思われたらしい。沢木氏が会社勤めをしていたら今のようなノンフィクション作家としてのキャリアは積まずに来られたわけだ。そう思うと不思議な気持ちになる。それが沢木氏にとって正解だったのかどうか……私は沢木耕太郎氏の良き読者というわけではないし、ノンフィクションにも特に興味はないのだが洒脱なエッセイ集である『チェーン・スモーキング』『バーボン・ストリート』『彼らの流儀』を読めただけでも幸せだと思っているのだが。

チェーン・スモーキング (新潮文庫)

チェーン・スモーキング (新潮文庫)

 
バーボン・ストリート (新潮文庫)

バーボン・ストリート (新潮文庫)

 
彼らの流儀 (新潮文庫)

彼らの流儀 (新潮文庫)

 

仕事上のことで凄く悩んでいた時期に、「タラレバ」をあれこれと考えたことがある。要するに仮想世界というか、平行世界というものだ。自分の今の人生ではない人生を送れた人間はさぞかし楽しかっただろうな……と。そんな自分を祝福してあげたいな、と。「よっぽど現実が辛かったのだろう」と他人事のように今はあの時期のことを考えている。そういうことを言い出せば映画では『バタフライ・エフェクト』のように不幸な世界だってあり得たわけなのだから……(ここでフランク・キャプラ素晴らしき哉、人生!』を挙げられないのが映画に関する私の無知を晒している)。

今は、立川談志の言葉ではないが今置かれている状況は必然でありどう足掻いても「現実は正解」、つまり今を生きるしかないと腹を括っているところである。こう腹を括ったのは堀江貴文氏の出演しておられた「しくじり先生」を見たからかもしれない。堀江氏のことに関しては以前も書いたが、『ゼロ』という本も読んだ。「過去にとらわれず、未来に怯えず、今を生きろ」という氏の熱いメッセージに促されて、今出来るベストパフォーマンスを尽くしているところだ。

過去を書き換えられれば……という話であればリチャード・カーティス『アバウト・タイム』のようなベトベトに甘ったるい映画だって連想することが出来る。ただ、やはり考えてもムダなことのように思う。どう足掻いたって過去のことを変えることは出来ないし、過去をコロコロ変えられたらむしろ「より良い人生を!」と幾らでも欲求/欲望が増えてしまい現状に満足出来なくなると思うのだ。それこそ『アバウト・タイム』のように……だから今のままでちょうど良いのかもしれない。発達障害者であることがあの頃に分かっていたら、新卒で就職が決まっていたら……あれこれ考えるが、考えてもそれでカネが儲かるわけでもないのだった。現実逃避であることに変わりはない。今を生きるしかない。

そういうわけで、この話に落としどころというのはないのだった……それにしても、最近の私の映画離れは自分でも如何なものかと思っている。折角契約しているネトフリも全然使っていない。グザヴィエ・ドランの映画が観られるというのに観ていない。怠慢というやつであろう。ヒマなのだから映画を観なければ。沢木氏の著作を読み返そうかと思う。

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ああ、でもエルンスト・ルビッチの映画はもっと若かった頃に観たかった。あんな楽しみを知らずに過ごしていただなんて!