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踊る猫の生活

創作のような日常/日常のような創作

Why Not Smile

創作のような日常
Up

Up

 

その方のことをどう呼ぶか迷ったのだが、「先生」と呼ぶことにする。

私は発達障害者で、だからなのかどうか分からないが表情が乏しい。笑顔をなかなか作れない。無愛想、というやつなのだろう。オフでお会いした方から言われた言葉で一番ショックだったのは、「お会いした限りでは、喜怒哀楽の『喜』と『楽』がないように見える」というものだった。

接客業というキツい仕事をしているのだが、教育の現場で「人は目と目が合えば必ず笑顔を浮かべられるものなんです!」と叩き込まれたこともあり、それが長年の悩みの種だった。作り笑いひとつ浮かべられない自分は「人間失格」ではないか……そう思い落ち込んでいたのだった。

断酒会に入会させていただいて、その先生が月に一度家族会を開催されるその集いに参加することになった。先生が色々なお話をされていた。今となってみればメモを取っておかなかったことが悔やまれる。興味深いお話だった。物腰の柔らかな、穏やかな、ニコニコ笑みを絶やさない方だった。私は当事者として、家族に様々な迷惑を掛けて来てしまったのだな……と反省させられることしきりだった。

春に入会した。その日は夏だったのではないかと思う。先生はひと通り話を終えられるとパッと私の方を向いて「ねえ貴方」と仰った。「なにか困っていることはありませんか? 悩みごととか」と話を振られたのだ。まあ、入会したての自分に興味を持たれたのだろう。咄嗟に出て来たことが上に書いたようなことだった。つまり「喜怒哀楽の『喜』と『楽』がないと言われます」と。

すると先生はパッと誰も居ない方向を向いて怒って叫ばれた。「そんなことを言うのは誰!? 放っておいてちょうだい!」と。私が目を白黒させていると、先生はまた笑顔で仰った。「そんなこと気にしなくて良いんですよ」と。「だってそうでしょう? みんながみんな私みたいなにこやかな人間ばかりだと窮屈じゃないですか」。

私はその言葉にいたくショックを受けた。青天の霹靂、と言っても良い。そうか、にこやかでなくても良いのか……笑顔を作れない自分は人間失格なのかとまで思い詰めていたので、そのような自分を肯定されるとはまさか思っては居なかった。

その言葉が引き金となって、私は笑顔を作れるようになったように思う。もちろん今でも表情は乏しい。だが、前よりは多少はにこやかになったのではないかと思う。無表情を貫き通して来たためにピクピクと引きつる口元も、多少は柔らかくなったのではないかと。

笑えるようになってから、共感の証として笑顔を浮かべられるようになってから、外国語をひとつマスターしたかのように生きやすくなったように思う。相手を緊張させなくても済むし、場をぶち壊さなくても済む。それが、私にとっては本当に嬉しいことだった。断酒会で得られたものがあるとするなら、それは健康もだけれどこの笑顔だろうと思うのだ。

今月、その先生の一周忌を迎える。先生からいただいた笑顔だけはいつまでも大事な財産として保持しようと思っている。