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踊る猫の生活

創作のような日常/日常のような創作

影ドロボウ

Plugs Plus by Dat Politics

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「変な話なんですけれど」とその男性は切り出した。

「あれは夏の真っ盛りだったかな。仕事上の理由で炎天下の中を歩いていたんです。田舎道でした。僕は車を持っていないんです。バスを使うという手もあったんですけれどなかなか通らないし、それにセコい話になりますがバス代だけ会社から必要経費としてせしめて徒歩で行った方がトクかなと思って……当時は三十代の始めだったから。それがマズかったんでしょうね」

うだるような暑さの中、コンビニすらない。塩飴とペットボトルのミネラルウォーターを頼りに歩いたのだという。

「そうすると大きな建物が見えて来ました。取り敢えず日陰に入ろうと思いその建物に近づいていったんです。そしたらその建物が」

廃墟だったのだという。見たところアパートだった建物らしい。

「こんな不便な場所には誰も住みたくないよなあ、って思って。それで日陰で休みました。自販機があったので更にスポーツドリンクとお茶を呑みました。こんなに暑くなるんだったら空調の効いたバスを待てば良かったのかな、と思いました。すると」

向こうから妙齢の女性がやって来る。その女性もまた汗だくで、茶髪の長髪にサングラスを掛けていた。整った顔立ちで、いやそれよりもポーグスのTシャツの胸の部分がはち切れそうに大きく、短いホットパンツを履いて生足を晒したその腰つきもこちらを誘っているようだったという。

「良い女だな、って思いましたね」

それで日陰で女性とすれ違い挨拶したところ、相手は彼を無視して通り過ぎた。

「なんだよ、失敬な奴だなと思ったんです。ですがまあ、ど田舎で自分のことを知らない人間なのだから仕方がないよなと思い」

その建物の影から出たところ、彼はおかしなことに気がついた。

「影がね、変なんですよ」

つまり彼が落としている影が妙なことになっていたのだという。どう見ても胸とお尻の部分が膨らんでいる。くびれた腰つき……要するに影が女性化していたということだ。

「それで彼女の影を振り返ってみたら」

彼女は既に遠くを歩いていたのだけれど、辛うじて影が見えた。男の影だったという。彼の影を彼女は落として歩いていた、というわけだ。

「つまり、『君の名は。』みたいな話ですね。入れ替わっていたんです」

どういうことかと思い、彼は彼女に呼び掛けた。返事はない。女性はスタスタと歩いて行く。無視かよ、と独りごちて彼は女性に追いつこうと来た道を引き返した。

「でもね、ここも妙な話なんですけれど」

歩いても歩いても彼女に追いつかなかったのだという。何度呼び掛けても返事はない。スタスタと歩いて行く。

「こっちは炎天下の中、遂にダッシュまでしました。それでも追い着かないんです」

彼は声を張り上げて走ったのだという。遂には荷物を脇に置いて全力でダッシュした。しかし、スーツを着ているという条件があるからなのかどうかは分からないが女性との差は縮まらない。

「なんとかして女に気づかせようとして必死で走っていたら、眩暈がしました。あ、これは熱中症というやつだな、って思いましたよ。もうここで俺の(と一人称が変わった)人生はお終いだな、と」

それで気絶してしまった。気がつけば彼は病院に搬送されていた。道端に置いた荷物も汗びっしょりになったシャツやスーツも整えられ、彼は入院着一枚でベッドに横たわっていた。

「やっぱり熱中症だったそうです。可笑しな話なのは、俺がそもそも日陰の中で倒れていたということですね。つまり休んだところから目的地に向かって前進した……というか後退か。どちらにせよ移動した形跡は見当たらなかったとのことです。目撃者も居ない。だから俺の頭が可笑しくなったんじゃないか、幻覚を見たんじゃないかって話で落ち着きました」

幸いにも熱中症で倒れた後遺症は残っていないという。

「俺は……これはタヌキに化かされたんじゃないかなと睨んでいます」

だがそれを証明する手段はない。

「下品な話ですけれど、アパートに帰ってからあの女のことを思い出してひとりHしました」

タヌキでも良いから、もう一度あんな女性を抱きたいというのが彼の野望なのだという。