踊る猫の生活

創作のような日常/日常のような創作

デビュー作から

ワーキングホリデー

ワーキングホリデー

 

図書館で藤沢周氏の本を借りた。

サラバンド・サラバンダ

サラバンド・サラバンダ

 

個人的に「老い」を切実に意識するようになったからか、この作品集は殊の外身に沁みる読書となった。『サラバンド・サラバンダ』に登場する人たちは全員五十代の、「老い」を切実に意識しなくてはならなくなった男たちだ。その男たちの日常をスケッチした作品集は自分にとっても(私は五十代ではないが)身につまされるものとして映ったのだ。

藤沢周という作家は個人的にそんなに読まれていない印象を受ける。いや、映画化されたりかつては「J文学」の騎手として扱われていたりしたのだからそれなりに読まれていたのかもしれない。ただ、それでも氏が芥川賞しか受賞していないというのはあまりにも不憫なのではないか……このあたりの細かい事情は私も良い読者ではないので分かっていないのだが、そんなことを考えさせられるのだ。

ここはひとつ、デビュー作から読み直してみようではないか……そう思い同時に借りた作品集を読もうと思っているところだ。

死亡遊戯 (河出文庫文芸コレクション)

死亡遊戯 (河出文庫文芸コレクション)

 
SAT^ORI (河出文庫文芸コレクション)
 

実を言えばデビュー作から読み直している作家は他にも居る。笙野頼子氏である。こちらは『東京妖怪浮遊』を読んだところで止まってしまっているのだった。なかなか『ひょうすべの国』まで辿り着けそうにない。笙野氏に関してはなんの予備知識もないまま『金毘羅』を読んで見事に挫折して、それで「これはデビュー作から読まなければならないだろう」と思い『現代思想』の笙野頼子氏の特集号を参考に読んでいるところなのだった。

東京妖怪浮遊

東京妖怪浮遊

 
現代思想2007年3月号 特集=笙野頼子 ネオリベラリズムを越える想像力

現代思想2007年3月号 特集=笙野頼子 ネオリベラリズムを越える想像力

 

笙野氏の場合は『なにもしてない』が(処女単行本ではあっても)デビュー作というわけではないのでそのあたり反則技になるのだが、そのあたりはまあ見逃していただきたい。

ある作家に関して、「この作家はデビュー作から読んだ方が良いだろう」と思わされるというのは私の場合良くあることなので、例えば中上健次大江健三郎氏もデビュー作から読むというムチャをしているのだった。中上健次に関しては全集を読破したことがある。二十代前半にニートだった頃、ヒマでヒマでしょうがなかった時に読んだのだった。とは言え「目を通しただけ」なので威張れない。パチンコ屋に一日中居る人間をエラいという人は居ないだろう。それと同じようなことを読書という名目でやっていたに過ぎない。その証拠に『地の果て 至上の時』がどんな話なのかさっぱり覚えていないのだからお里が知れるというものだ。

中上健次全集〈1〉

中上健次全集〈1〉

 
大江健三郎自選短篇 (岩波文庫)

大江健三郎自選短篇 (岩波文庫)

 

中上健次に関して言えば、高山文彦氏の中上健次を扱った評伝『エレクトラ』をつい最近読んだので「再読したい」という意識が持ち上がって来たのだった。

www.honzuki.jp

漱石に関しても『吾輩は猫である』を読もうと思っている。今のところ他の本で手一杯なので止まっているのが難儀な話なのだが、いずれ再読しようと思っている。頭木弘樹さんが「落語のような小説」と仰っていたが、実際にツカミだけ読んでみたら滑稽で面白そうな話なのでいずれそこから先に進もうと思っているのだった。

吾輩は猫である (新潮文庫)

吾輩は猫である (新潮文庫)

 

流石に創作のネタが切れて来たので、当分はこういう更新が続くと思います。