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踊る猫の生活

創作のような日常/日常のような創作

私が本を読むようになった理由

日常のような創作
wintersong

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高校生の頃のこと。今みたいな年明けの時期の話だ。

今でこそそれなりに本を読んでいるような顔をしているのだけれど、私の読書量はたかが知れている。なにせこの年齢になってもトルストイフローベールバルザックプルーストディケンズジェイン・オースティンといった作家のものを読めていないのだからお里が知れるというものだ。

でも、高校生の頃の私はもっと本を読んでいなかった。漫画も含めてひと月に三冊も読めば良いという体たらくで、なにをやっていたかというと音楽ばかり聴いていたのだった。それがとある切っ掛けで変わったのだ。

先述したように年明けのとある冬の日。私はその日の放課後に屋上で音楽を聴いて過ごそうかと思ったのだけれど、肝腎の音楽プレーヤーのバッテリーが切れてしまった。それで、なにかの気まぐれで図書室に行ってみることにしたのだった。本の背表紙を眺めていれば退屈凌ぎにはなるだろう。

それで、図書室に行ってみるとひとりの女の子が制服の下にジャージのズボンを履いてカウンターデスクで貸出カードの管理を行っていた。特に私自身は彼女と話したいわけでもなく退屈凌ぎで行ってみたのだから、一時間もすれば帰るつもりだった。すると彼女が私の顔を見上げた。

「貴方、見ない顔ね」と彼女は話し掛けて来た。

図書室に来るのは初めてなんで」私は彼女の年齢を推し量った。ジャージの色からするに私より学年が上らしい。会ったこともないような女の子だったのが訝しかったが、そのあたりの細かい事情を私はさほど気にしない人間なので取り敢えず無難に答えた。

図書室、初めてなんだ。珍しいわね。みんな一度は図書室に足を運ぶものよ」

「そうなんだ」と私は答えた。

「良かったら、借りて行って欲しい本があるの」と彼女は言う。「まだ誰からも借りられていない本なのよ」

「読書は趣味じゃないから」と私は笑って断ったのだけれど、彼女はしつこかった。

「誰からも読まれてない本って、悲しいじゃない?」と彼女は言う。「本の中には豊かな世界が詰まっているのに、それを誰も目にしないのよ。興味すら抱かない。本の中の世界は一体どうなるの? 本の中で生きている人たちの生活を、誰かが見てあげるべきじゃないの?」

それは確かにそうだ。だけれども、本を読まない人間にはハードルが高過ぎる。いきなり『罪と罰』、いや『コインロッカー・ベイビーズ』や『ノルウェイの森』さえも、シドニィ・シェルダンすらもビギナーには背が高過ぎる。

「この本は短くて読みやすいわよ」と彼女は熱心に推して来た。「飯田茂実『世界は蜜でみたされる』って本なんだけれど、一行物語が沢山収められているの。借りて行かない? サクサク読めるから」

私は彼女に薦められるがままにその本を借りて、帰りのバスの中で読んだ。なるほど、なかなか面白い本だと思った。それで土日を挟んでいたので時間もあるので、その飯田茂実の本を三度読んだ。傑作ではないかと思った。感想を彼女と語らえるならとも考えた。是非そうしてみたい、と。

だが、週明けに学校に行ってみたら居たのは別の女の子だった。ジャージのズボンの色からすれば私と同級生だろう。私はこないだの司書の上級生の女性の話をした。「あの人は今日は休みなの?」

「ああ、甘木さんね。あの人ならもう半年ほど前から学校を休学していて、去年の暮に亡くなったわよ」と彼女は答えた。私がこの話をすると、「甘木さんはあの本が好きで良く読んでいたから、お気に入りの本を他の誰かにも読んで欲しかったのかもね。だから現れたのかも」とこともなげに返された。

私は怪異体験に遭遇する人間ではないのだけれど、これが唯一と言えば唯一の体験かもしれない。まあ、陳腐と言えば陳腐な体験だ。同級生が人違いをしていたという可能性もある。だからこのあたりの真偽は分かっていない。分かりたいとも思っていない。謎は謎のまま封じ込めておいた方が良い話もあるのだ。私はそうして、本を読むようになって行った。

ちなみに今でも私は、飯田茂実の『世界は蜜でみたされる』を愛読している。