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踊る猫の生活

創作のような日常/日常のような創作

筋トレ

日常のような創作
VUOY

VUOY

 

イシカワさんのお話。

「僕は筋トレにハマってるんですよ」とのこと。「筋トレって、頑張った分成果が分かりやすく目に見えますからね。なかなか努力したことが成果となって現れるような仕事とか、趣味とかってないでしょう。語学とか料理とかそういうのは良いですね。筋トレもその点精神衛生上にも良いし、健康的でもありますからね。一石二鳥なんです」

運動不足を指摘されている私には耳が痛い話だ。イシカワさんは続けた。

「ところで『百円の恋』って映画ご覧になったことありますか?」

映画にはあいにく疎いので私が正直に「観てない」と言うと、イシカワさんは「そうなんですか」と意外そうな顔をされた。

「まだ観てないならご覧になった方が良いですよ。ニートから心機一転してボクシングのトレーニングを積む女の子の姿を描いた映画なんですけれど、安藤サクラが出てて……それが、その安藤サクラが俳優とは思えないくらいに作中で変貌を遂げるんです。だらしない体型の肉体を絞りに絞るんですね。そしたら贅肉が落ちて、身体のキレが良くなって……あれはトリックじゃなくてガチで絞ってるんだな。いや、むしろプロの俳優だからこそあんなことが出来るのかも」

それでその映画を観て心機一転したと語る女性がひとり、ジムを訪れたのだという。彼女とイシカワさんはジムに通う時間帯が一緒だったせいか、すぐに打ち解けるようになった。

「言い方は失礼ですけれど『真面目系クズ』を絵に描いたような女の子でしたね。メガネを掛けて、髪も真っ黒な長髪でボサボサで、身体も変な匂いがして、『この娘、何日風呂に入ってないんだろう』って……それくらい女を捨ててるように見えました」

最初は『百円の恋』の安藤サクラ同様やはりだらしないぽっちゃりした身体を晒してジムの機械に向かっていたのだという。すぐにへばってしまった。だが、継続は力なり。進歩を遂げるようで、その成長ぶりはみるみるうちに身体に現れるようになった。

「もうそのスピードは凄かったんですよ。彼女も『百円の恋』の安藤サクラ同様ニートで引きこもりだったとかいう話だったんですけれど、『この年齢になって身近な知人が次々結婚したり昇進したりして行くのを見て、ネトフリであの映画を観て発奮したの』とのことでした」

どんどん筋トレにのめり込んで行ったのだという。そしてだらしないロングヘアをバッサリ切り金色に脱色したのだった。闘志を燃やすその姿は、彼女の内側に秘められていた「真面目」な部分を剥き出しにしていた。

「わざわざ輸入品の、何処のメーカーだか分からない筋肉増強剤を購入するようにまでなったそうです。僕は『それ以上鍛えなくても良いんじゃないかな』と何度も言ったんです。筋トレってやりゃ良いってものじゃないんです。我流でやると逆に身体を壊すことだってありますから」

だがそれでも彼女の執念は凄まじかった。終いには身体をどんどん絞り、それだけではなく胸も背中も腕も脚も、筋骨隆々とした姿にまで成長したのだという。

「あんだけ筋肉を短期間で鍛えるってことは相当な無理が要りますよ。繰り返します。僕は何度も注意したんです。『もう限界じゃないか』って」

それでもトレーニングにのめり込んで行った。そして、ある日のこと。

「彼女には珍しく一週間休んだんですね。真面目に来てたのに、体調でも崩したのかなって……で、週明けに僕のところに来たんです。いつもの金髪じゃなかった。茶髪のボブでした。ヘアスタイルを変えたのかな、でも急にここまで髪の毛は伸びないよな……と不思議に思っていたら彼女が赤らめた顔で涙ぐんだんです。『イシカワさん、どうしよう』って。なにが起こったんだと思います?」

それで私は、「まさか筋肉のつけ過ぎで、卵を掴めなくなって握り潰してしまうようになったとか?」と返してしまった。

イシカワさんは苦笑して「変な本の読み過ぎじゃないですか? お話としてはそっちの方が面白いのかもしれませんけれど……」と一蹴された。そして、ひと呼吸置いてこう仰った。「彼女は頭髪を外したんです」

つまり、やはりと言うか彼女の頭はカツラを被っていたのだ。髪が全く抜け落ちていたのだという。

「毛穴さえ見えなかった。頬の肌がそのままつるんと頭まで伸びているような感じでしたね。まあ筋肉増強剤がハゲの原因になるって聞いたことはありますけれど……あそこまで極端なのは見たことがないですね。たった一週間でですよ。どんなクスリを飲んだんだか」

これから医者に行くつもりなのだけれど、もう結婚は諦めざるを得なくなった……と一頻り涙ぐんだという。

「嘘臭いと思われますよね……誰に話してもそう返されるんです。で、こういう話をお探しだということなのでお教えすることにしたんです。ちなみにあれからジムにパッタリと彼女が来ることはなくなりました。それで三ヶ月後くらいかな。彼女と一度すれ違ったんですけれど」

一気に老けた、皺苦茶の痩せこけた姿を晒していた。

「同一人物かどうかさえ確信は持てないです……お粗末な話ですけれど、お聞きになりたいのがこういうネタだということなので」

私はその話に頷き、私が断酒中なのを知らない新聞の勧誘員の方から購読するお礼にといただいたビール共通券をお礼として返させていただいた。